2013.2.23 奥田サロン「Spoon コラボ企画 あなたはあなたのままでいい」

菅井恵津子さんから講演メモをお寄せいただきました。

みなさんに共有します。

2013.2.23
「Spoonコラボ企画 奥田サロン」講演メモ

当日、参加いただいた菅井恵津子さんから講演メモをお寄せいただきました。
せっかくなので、それを資料の横に掲載します。今回の内容は十代の若い方々にも知っていただきたい内容なので、公開します。

タイトル:「あなたはあなたのままでいい」奥田浩美
↑さかのぼると、マザーテレサの言葉

自分の歩いてきた道のりの中で、どういう選択をしてきたかについて。
<経歴>

0歳 鹿児島生まれ

3歳 移動の始まり。屋久島が記憶のスタート。父親は教職についていたが、自分が選びうる最も遠い場所を選択するタイプの人。ほぼ3年おきに転勤で色々な場所に移り住む。

15歳 夏休みに、「鹿児島市内に家があるから、中1の妹と移り住み、高校、大学へ行くように」と父親に言われ、父の給与口座のキャッシュカードを渡された。今から思うと、とても父親に信頼されていたのだと思う。教職の道を父親から薦められ、大学4年までレールにのって過ごしてきた。

22歳 教員採用試験に受かり、赴任先も決まるというときに、一番ショックを受けた。それは、先がだいたい決まっているという光が見えてしまったから。
>夏休みにインドに行ったら、自分の知らない世界に魅せられて、インドに行く決心をする。
国際電話を週に一回掛ける生活が始まり、インドで一番難しい大学院に受かることでインドに行くことを認めてもらう。

インドの大学院ではリーダーを育てる教育をしていた。日本で教職と心理学、障害児教育を学んできたが、全く歯が立たなかった。インド社会の背景が分からなかったから。
あまりにも大変で髪が半分抜けてしまうほどの学生生活。父親が大学に直訴して、大学から10日間くらいの休みを与えられた。
ビリから2番目の成績で進級。何とか学位を取って帰国。

日本で、インドで学んだ福祉を生かして就職しようと思った。しかし、世界や社会を変えようというコンセプトで就職は難しいことがわかった。とりあえず国際会議をやる会社に入る。そこでは、IT技術の国際会議を担当。

25歳 IT国際会議の世界へ「世界を本当に変える」人たちに出会う

26歳 起業を決意(日本に帰って1年半)。IT専業で技術を伝える国際会議をサポートする仕事はなかった。
起業した世界はIT分野。そこで「ブルーオーシャンを泳ぐ」。ブルーオーシャンである限り、男女の区別は関係ない。

26歳 結婚。夫とは18歳で出会う。電子工学科。縛られなくても結婚できることに気づく。「ファンクラブと私」これから10年仕事を頑張っていく上で、夫がファンクラブの会長。奥田さんの後ろには草一本生えないと言われるほど仕事をとってきた。

35歳 ニッチな中にも自分のポジションを築く。妹に子ども(二人目)ができた、ということがどれだけ人を幸せにするのかということを思い知らされた旅行中の出来事→子どもを持つことを決意→2ヶ月後に子どもを授かる
直感で欲しいものの方向へ向かう。迷わない瞬間というのが人間にはあると思う。

36歳 出産。子どもを育てられるように事業の規模を小さくした。

43歳 夫が病気になった。尋常性白斑。ストレスから来たものかもしれない。治療のために会社を週3日休まなければならない。→夫が治療と育児を頑張り、残りで仕事をしてもらうため、夫のために仕事を取りに行った。
病気でなくても、この道を選んだら幸せなのに。男性に会社を辞める、という選択肢がないから、病気ということでもなければ選べなかった。
今はそういう意味では幸せ。

48歳 地域活性のメディアを立ち上げる。

<「正しいこと」って何だろう>

インドでは8,10歳くらいのネパールやインドの北部から売られてきた、売春をさせられている子ども達の更正プログラムに関わる。
2年足らずで文字も言葉もしらない子どもがタイプができたり、職業的に刺繍が上手くなるはずがない→再び売春宿に戻ってしまう。
いままで考えていた正しいことが人を幸せにするという構図が崩れて、どうしたら良いか分からなくなる。売春は悪だという「当然のこと」を教えて、罪悪感だけ植えつけてなにになるのか…。

議論すると意見が合致する社会は特殊。特に日本はそう。
人はそんなに簡単には仕組みを変えられない。

<違いって何>

神より授けられたものはすべて善きものでありながら、すべてが同じものであるとは限りません

「私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。しかし、ともに力を合わせれば、何か素晴らしいことができるのです。」

違うことって本当はすばらしいことではないか。

<仕事観も恋愛観も結婚観も違っていて良いじゃない>

「企業に所属しない生き方をしたい」
「夫婦別姓にしたい」<
「0歳から子どもを預けて働きたい」

その人に強制するわけでもなく共感するするわけでもないのに反対する。
そういうひと「も」、そういう選択肢「も」あることに寛容でいてくれるだけでいい。
そういうことを子どもに伝えたい。

<狭い世界の行きにくさ>

特殊な環境に生きているので、10代は共感してもらえないことが辛かった。
しかし、自分は「こういう人間」ということをカミングアウトして、それに合致する人が友達、というようになったら友達がわっと増えた。
多様な環境で生きられる日はいつかくる。自分が求める限りは。

Facebookでの年齢分布が同じくらいになっている。
比率が幅広い。海外の人とも繋がっている。
多様さが体に染みついていて、伝えられることができる。
どんな人でも材料になり得る
共感できない人でも、ないものとして切り落とさず、見られるだけの寛容さをもちたい。

これが今日の言いたいことすべて


<「次世代への意識」を自分の生き方に生かす>

どちらを選ぶか?と言われたら自分より若い人(12歳位下)にかっこいいと思ってくれることを選択する。


強い思いは伝達される=価値観
多様な価値観を伝える一つの駒として生きている


多様性の受容
できているか?

わたしもまだまだです。

でもそんな社会で子供を育てたいです。


ありがとう!!


★spoonコラボトーク

<奥田さんとはどうやって出会ったか?>
なでしこベンチャーサミットで出会う。
杉本さんが企画・運営をし、基調講演に奥田さんに依頼をしたのがきっかけ。初めは杉本さんが奥田さんに対しで「女性だけのイベントにしたい」と提案したが、「女性ばかり集まっても一揆しかおきないから、多様な価値観を入れる方がいい」とアドバイスをしてくれた。

<spoonとは?>

<代表 杉本綾弓さんの経歴>
16歳からbookoffで働き18歳で店長。マネージメントも行う。
24歳でメニエール病にかかる。結婚もこのとき。
頑張ろうとしても心身のマネージメントができなければゼロになってしまう。
結婚も価値観の変化。
それまでは仕事で成果をだすことが全てだと頑張ってきたが、心身のマネージメントができなければ継続はできない。

奥田さん
0-48歳までの積み重ね。卵巣、胆嚢切除している。
止まることの重要性。

妹の妊娠がどうして衝撃的だったか?
22歳で卵巣がんになり1年闘病。卵巣が赤ちゃんの頭くらいになる。両親は近くにいない状況。
プレゼンでは素敵なことしか言わない。そのようなことを聞いて、「自分はなんて何もできないんだろう」と思ってしまう人もいるだろう。
一人泣くこともある。これだけ走ってきても、どうしようもないことにも当たってきている。立ち止まることも必要。転んでも大丈夫。
赤ちゃんは泣くが、社会は見せてくれない。弱いもの、社会効率の良くないものを見せていてもどうにかなっているが、会社、社会はそうではない。そういうところがspoonのコンセプトと合致。

<spoonの成り立ち>

greenz.jpというwebmagazineのイベントで、のちに編集長になる杉本真奈美と出会ったのがきっかけ。編集長は糖尿病を煩っていて、それぞれ病をきっかけに自分を見つめることの大切さに気がつき、WEBマガジンを開始。
ソーシャルメディアで発信しながらメンバーを増やす。
有志団体だが、会社員、フリーランスなど職種も様々で、大学生~40代までのメンバーがいる。
いい人が集まってくると熱量が上がってきて良い循環になる。

これからは、病気など、奥田さんがおっしゃるようにある意味では、見たくないけど見た方がよいという部分を見せていきたい。

世の中で言われている定形的な理想の暮らしや、幸せではなくて、自分が何をしたら気持ちがいいのか、心地がいいのか、自分を見つめることのきっかけを提案していきたい。

これからは、病気など、見たくないけど見た方がよいという部分を見せていきたい。

奥田さんとのインタビューは3時間位。最初は編集記事という話になっていたが、奥田さんの言葉はエネルギーを持っていて、 奥田さんの言葉をありのまま記載した記事となった。

<質問タイム>

Q1.自分も小学校の転校が多かった。友達はいなくても良いと思っていた。今回のお話を聞いて共感した。もっと話を聞きたい

A1.
奥田さん
自分は本当は友達が欲しかった。椅子をなげたけんかもした。その地域では児童会長になると保護者からよそ者が児童会長をやっている、といわれた。仲間はずれになる前に離れてしまう。父親に強く育てられていなければいじめの対象になっていた。私はみんなと違うから、と思っていたので友達もいなかった。出すぎた杭は打たれない、という考えを持つ子どもはそういない。社会を変えられるのであれば、変えるポジションにいたい。自分の友達=自分の意図を理解してくれる人
伝えていくことが大事。お子さんのいる方が子どもに伝えれば、子どもの世界も変わる。言いたかったのに言えなかった、という人たちが集まってくる。
友達がいなかった人は、見方を変えると社会を変えられる人なのでは?

杉本さん
ハードボイルドな母に育てられた。人間は明日死ぬかも知れないから、と言われて育った。小学生でピアス、金髪、パーマ。友達いらないタイプ。(自分を理解してくれる人はいないと思っていたから。)
発信したい、と思ってからが変わった。病気の経験、結婚の経験がきっかけ。自分が生きている間に何ができるだろう、次世代に対して残していけるものを考えると、自分の小さい頃を考えると学校では価値観を認められずに生きてきたので、いろんな人の価値観を認める媒体を持ちたいと思うようになった。それからは同士を作りたい、そういう仲間が集まってきた。

奥田さん
今は発信できる場があるから、子どもにも発信できる場を教えてあげる。
12歳下の人に伝えてあげるという循環を作りたい。
自分の周囲は金銭的、環境的に恵まれている。周りの人は海外、アメリカンスクールにやっている。しかし、いろんな道があって良い。全員が海外に出て行けるわけではないとなると、教育をやりたいのだと思う。もがいていたことも、今から思うと、それで良かったと思う。
友達をいらないと思っていたが本当は欲しかった。発信できる場があるので、友達がいらないと思っている人にはそれでいい、と発信していきたい

Q2.攻める時期と受け身の時期とどちらに重きを置けば良いのか

A2.
奥田さん
日の内でも違う。守ろうと思うこと自体、守ろうと思う自分を認めていない。
逃げるのはすごく難しい。人生辛いことがあったら逃げろ。逃げる方法を必死に考える。そのことで、今の状態から動くことにもなりうる(まっすぐではなく、斜め上、1ミリ動くことでも後退する逃げではなく前進していると考える)。後ろでないところへ全力で逃げる。
立ち止まっているという状態は本当はとはない。人間は必ずどこかに動いている。前のめりで悩んでいる、という言い方もできる。逃げるを効果的に使う。

教職からは完全に逃げだった。考えすぎたら人間は倒れる。体は正直。できるだけちいさな病気になること。大きな事になる前に、自分の信号も受け止めることが大切。精神的な病気がその時点で出せたから今がある。

水谷さん
何でも走り続けられない。独立したときはがむしゃらにやっていた。仕事が軌道に乗ってきてから周りの意見を聞いてきて、良かったのだが、それは有名なカメラマンになるための方法だった。名声を得るために有名人を撮っているのではないということに気づいた。有名人も個人も撮るのは好き。良い写真がとれれば。それに気づくと、他人と進む方向が違うということが分かるようになった。それからは楽になった。

奥田さん
勝ち負けをすり込まれている。表向きはダメというのに。勝てば良いのに。
きちんと向き合わせてくれないから、勝ちの無意味さにも気づかない。
自分は勝ち負けに近いところにいる。経済の勝ち組にいて、自分とつきあっているのだから、いろんな人がいるのだ。ネガティブな面をかかえている。
何を持って勝ち負けとするかはわからない。
何か、そういうことを言える場があれば良いのではないか。

杉本さん
母から「昨日のあなたより、今日のあなたの方が素晴らしい」と言われて育った。
それがベースにあるのか、自分の中で絶対評価と相対評価という軸を持っている。社会の中で比べた「まだまだだな、頑張ろう」という自分の評価と、昨日の自分自身と比べた「自分ってよく頑張っている!」という評価。そういう評価を持っているとバランスが取りやすい。
自分で走る時期と休む時期を決めている。ヨガ、メディテーションの時間をつくり、自分を見つめている。人の前に立つときにはフラットな状態を保つようにしている。

奥田さん
自分の娘は素晴らしい、かわいいと言って育てている。
自分も誉めよう。誉めあう会を開きたい

Q3.自分は上昇志向があるが、夫はそうではない。それがいらいらする

A3.
奥田さん
家はそう。家庭内に違う人がいるというのは、議論で合致しているのではなく、その他のことで合致しているはず。

杉本さん
夫はソーシャルメディアやITにはまったく興味が無いし、全く違ったタイプ。完全自分の応援団にさせるという教育をしている(ゴミ捨て、料理)。

奥田さん
夫のことを認めている部分。理系なので数値で理解する。例えば、料理を教えていて、水の分量を量るのに「表面張力の上か下か」と聞かれるなど。夫がいなければ日常で表面張力を意識することはなかった。そういう人がいてとてもおもしろい。面白いことが日々降ってくる。自由に言わせてあげる。

自分のやりたいことがあったら、相手のやりたいことを同じだけさせてあげる。
自分はやりたいことが多いので、夫にはとても寛容である。

Q4.周りの価値観と自分の価値観がずれていることを感じ、それを変えることの無力感に対するエール。ネガティブからポジティブへの転換点を迎えられるきっかけ

A4.
奥田さん
自分のことに共感してくれる人を一人持つ。そういうことがあると変われる。
誰か一人すてき、と言ってくれる人を見つける。いきなりクラス全員、社会全体とおもうからダメ。

杉本さん
基本前向き。悩んでいること自体が暇だと思うことにする。やるという選択をする。

奥田さん
どうやったら迷わないことになれるのか
信じたら前に進む

杉本さん
頑張れ、といってくれる応援団を持つ。相談して励ましてくれる人をもつ。前向きなコミュニティを持つ

奥田さん
コミュニティを持つことが大事だが、コミュニティに出続けるのもいけない。
そこで知り合いを作って、何かをする。
出会い方を変えて応援団を作る。

Q5.娘が宇宙飛行士になりたいといっているが、気が変わったらしい。(種子島へ宇宙留学中)娘のやりたい方向にサポートしていきたいが、どうしたらよいか。

A5.
奥田さん
娘が就く職業は自分の知らない職業になるだろう。
親は「何になるの?」という言葉をやめるべき。小さい頃から準備をしなければならない職業は限られている(バイオリストなど)。15歳から準備してなれる職業はまだたくさんある。