LEAPDAYのオープニングセッションを終えて
正直に言えば、今日気づいたわけではありません。
ずっと前から、心のどこかで薄々気づいていました。
けれど、それを言葉にしてしまうことが、どこか怖かったのかもしれません。

「カンファレンスは、格差を助長する」
私たちが熱狂して「未来」を語れば語るほど、ここに来られる人と、来られない人の距離は開いていく。 情報を手にする者と、そうでない者の断絶は深まっていく。
誤解のないように言えば、「スタートアップ・イベント」は、それでいいのです。 ユニコーンを目指し、誰よりも高く、速く。マグマのように噴き上げていく人たちを集め、その熱量を加速させる。それは産業の新陳代謝のために絶対に必要な機能です。
けれど、「地球の未来を語るカンファレンス」は、それではだめだ。
地球の未来とは、一部の成功者だけのものではありません。 そこには、技術の恩恵から取り残された地域も、声なき弱者も、自然環境もすべてが含まれます。 一部のエリートだけが加速する未来を語る場所なら、それは「地球」のカンファレンスではない。ただの「特権階級の集会」です。
必要なのは「福祉的アウトリーチ」
沖縄のLEAPDAYに登壇している壇上でその想いがどんどん強くなってきました。
この違和感を解消する鍵が、「福祉的アウトリーチ」です。 待っているだけでは届かない人へ、こちらから出向くこと。
ビジネスの世界でアウトリーチと言えば「集客」ですが、私が学んだ社会福祉の世界では全く意味が異なります。 それは、制度や情報の狭間に落ちてしまい、「助けて」と声を上げることさえ諦めてしまった人々の元へ、こちらからノックしに行くことです。
これをカンファレンスでやる意味。 それは、然るべき人々をビジョンで集めて、集めた人からその地域のその先へ「未来へのアクセス権」をデリバリーすることに他なりません。
「最先端の技術なんて、自分たちの生活には関係ない」 そう思い込んでいる人々の生活の現場へ、こちらから出向き、「この技術は、あなたが幸せになるための道具なんですよ」と手渡すこと。 待っているだけでは決して届かない「未来への入り口」を、こちらから届けに行くのです。
だから、これからのカンファレンスでは「ツアー的アウトリーチ」を増やしたいと思います。 これは観光や物見遊山ではありません。 最先端の技術者たちを、本来テクノロジーを必要としている生活の現場へと連れ出す「接続の旅」です。
「たからのやま」と「破壊の学校」
この想いに行き着いた時、私の中で電流が走るような感覚がありました。 「これ、私がやってきたことの集大成じゃないか」と。
一つは、2013年に創業した「株式会社たからのやま」。 地方の課題現場へ出向き、お年寄りにタブレットを手渡して回った日々。あの「現場へのアウトリーチ」が、その原点です。
そしてもう一つ。私が主宰していた「破壊の学校」です。 既存の枠組みや常識を疑い、一度壊して、見たことのない世界に身を置いて新しく作り直す。 あの時、私が伝えたかったマインドセットは、まさに今、このためにあったのだと気づきました。
「カンファレンスとは、会場の中でやるものだ」 「成功者が登壇し、聴衆がそれを崇めるものだ」
そんな既存のカンファレンスの「当たり前」を破壊すること。 格差を広げる装置を破壊し、格差を埋める装置へと作り直すこと。
「たからのやま」で培った現場への愛と、「破壊の学校」で掲げた変革への意志。 この二つが、次の枠組みとして完全に合流しました。これまでもカンファレンスにツアーや地域訪問を組み合わせたことは何度もあります。でも、見学にいくのではない、私たちが迎えに行き、交わるのだと。
その意味が再接続されたのです。
噴き上げるだけのイベントではなく、大地に根を張り、広げていくイベントへ。
車座の後ろの身体的な違和感
この大きな気づきの正体は、昨日登壇した「LEAP DAY」のステージ上で感じた、ある身体的な違和感でした。
あの時、私たちはステージ上で車座になっていました。 本来、その円陣は、会場にいる聴衆のエネルギーを中心にかき集め、そこで一緒に大きな狼煙(のろし)を上げるための陣形だったはずです。
けれど、ふとした瞬間に背筋がゾクリとしました。 会場にいる市民のみなさんが、私たちに置いていかれる立場のように感じた瞬間がありました。私たちの背中に途方もない「距離」を感じたのです。
熱源を囲んでいるはずが、いつの間にか「見せる側」と「遠くから見る側」に分断されている。 あの車座の背中に感じた距離こそが、この壇上にいる私たちが「破壊」し、埋めなくてはならないものでした。
もう、ただ拍手をするだけの「観客」を生むカンファレンスはいらない。 誰もが火を囲み、共に狼煙を上げる当事者になるために。そこに居ない人のことまで囲みの輪に入れるために。
LEAPDAYは素晴らしい場でした。そういうことに気づかせてくれるのですから。東京などの大都会では気付けない空気と、市政との接続感。そして、こういった地域だからすぐにそれを変える一歩がやれそうな意識。車座だったからこそ、背中に感じたような気もしました。対面の一般的なステージでは、上にいる人と下にいる人の違和感を感じなかったでしょうから。
まだまだ、カンファレンスというものの良さを信じて、プロデュースを続けます。
カンファレンスに壮大な社会変革の力を感じながら。
火柱を立てる。
