スタートアップコミュニティの行方

スタートアップコミュニティの行方

 新年早々CNETに平野氏(通称:Kigoyama)のこの記事が掲載された。
 『次にブレイクする13サービス企業という記事だ。
 「2011年はスタートアップの年だった——そう確信できるほどに国内テクノロジー界隈のプレーヤー達の動きが活発だった。」という書き出しで始まる。そして、この大きな流れを作り出したのは起業家と周囲の支援者という内容だ。

 この記事の書き出しを読みながら、この数年のスタートアップコミュニティの変化に関して感慨深いものがあったので、今日は書いてみようと思う。おそらく私がなぜITカンファレンスの企画・運営の会社を経営しながら、なぜWeb系スタートアップのサービスの情報の渦の中にいて、日々六本木で若い起業家たちと日々会っているのかの振り返りともなっている。

 そういえば、このポストのきっかけとなったKigoyamaと出会ったのは私の旧ブログによると2009年8月末だ。TechCrunchの記事の中にも、TechCrunch Japan Tokyo Camp(β) という記事が残っているが、まさにスタートアップコミュニティイベントのβ版といえる会の開催を手伝ったときに出会った。

 価値観が変わる潮目-Web2.0の認知とリーマンショック

 思い起こせば、私は日本で2007年に開催されたWeb 2.0 EXPOでスタートアップイベントのローンチパッドというものに触れ、その会議の事務局としてサポートしていた私は、その数年の間に世界的にスタートアップのデモが行われるイベントが広まってきているのを感じていた。(そういえば、この記事内の登録事務局の電話番号にかければ、今も私の横の電話がなりますw余談ですが。)

 そして日本でもその流れが生まれそうな2008年の夏、私はWeb2.0の会議の事務局を受注していながら、開催数か月前となった9月初旬、まさにリーマンショック前週くらいにWeb 2.0 EXPOの日本開催中止の知らせを受け取った。

 その時の行き場のない気持ち、そこに集おうとしていたWebスタートアップ系コミュニティの意欲の持って行きどころとして、その年小さな勉強会やイベントが行われた。私および弊社はというと、その年のリーマンショックの影響によって、Web 2.0 EXPOに限らず、予定していたほとんどの大規模カンファレンスが中止に追い込まれ、数千万単位の売り上げ予定も一気に宙に消えていた。

 リーマンショックからほぼ半年間、業務に就けるイベントもないままスタッフを抱えつつ、すっぽりと空いてしまった時間をこれまで費やせなかった子育てに向け、子供の生活を見ながら考えたこと。それは、この閉塞感をこの子達のためにも何かうちやぶることができないかということだった。

 目の前の仕事がないなら、これまで培ったカンファレンスやセミナーやコンテストのノウハウを、新しいビジネスが生まれる方向に費やそう。
ITのカンファレンスコーディネートはすでに20年弱経験があったし、コンテストに関してはMashup Awardsなどの運営に初期から関わり、製品やサービスを表舞台に上げるということに関しては自らプロフェッショナルと誇れるだけの経験はあった。

 そして何より、自分自身が1991年からの2度の起業によって、何にも代えがたい経験をしている。

 ビジネスと有志活動の狭間で

 そこで、全くビジネスにもならないけれど、新しいサービスが生まれてきそうな小さい勉強会やコミュニティイベントやコンテストのお手伝いをしたりするようなことを始めた。
 私の力を必要とする相手が、企業であったりお金を生み出す活動の場合は、きちんとビジネスとしてお金をいただくが、有志活動やコミュニティ活動の場合はほとんど無償で相談にのった。

 そういうことをするだけでそれらのプロジェクトが息吹いてくるのを実感した。ただ、1990年代にカンファレンス事業を起業し、ITカンファレンスの事務局を数千万単位で片っ端から受注してきた私が、そんな本業に近い内容をお金ももらわずやるなんて不思議がる人も多かったし、まだ、プロボノという定義みたいなものもなかったので、 自分の本業を無償で貢献するということ自体の説明も難しかったのだ。

 ただ、時代の流れとしてはブログやFacebook、Twitterなどで自分の活動の意味づけを発信出来たり、お互いの考えをそういったソーシャルメディアを通して確認できるようなそんな時代が活動を後押しした。

 そんな中、2009年の夏にKigoyama率いるTechCrunchなどのスタートアップのコミュニティイベントに出会い、それを支援するようになった。ちょうど同じ年にWishなどのイベントも盛況を博しており、そして、同じ想いで何かを仕掛けようとしている本荘さん勝屋さんのBRIDGEのサポートなどとも関わりをもつようになった。これらのイベントだが、大盛況であったものの、そこに共通してあったのは「有志」での活動ということだった。

 TechCrunch Tokyo Camp :

 本家US TechCrunch50のDemoPitをベースにして、DemoPit+Meetupを行うイベントとして開催。ブースは机1個だけだが、優れたサービスは媒体にて取り上げる。そして何より、「デモとビールを楽しもう!」というMeetup イベントで東京の「スタートアップ」をコミュニティ化する芽を根付かせるイベントとなった。

 BRIDGE

 情報技術に関係する多様な分野で活躍の人々が一同に会し、刺激しあい新結合のきっかけとする。特に、イノベーティブな活動やコミュニティのリーダー達を招き、イノベーションのハブのネットワーキングを図る。それにより、個人の起業家精神のきづきと新エコシステム(生態系)の創造(人がつながり組み合わさってイノベーションを創造あるいは加速)につなげる。…というまさに今のコミュニティの仕組みを目指すコンセプトで始まっている。

 それ以外にもコミュニティというコンセプトとは異なったが、日本では一番早い時期から独自の試みを行っているIVSのLounch Pad(多分2006年から?)や、WISHなどのイベントで、可能性のあるサービスを紹介し、飛躍のきっかけを提供するというプロジェクトが拡がっていた。

 そして、そんなことを続ける中、OnLabのスタートを切るHiroに出会い、Startup Datingを仕掛けたいという池田氏などにも出会った。
 そして、私はというと、様々なコミュニティイベントを支援する中で、もう少しスタートアップのすそ野を広げようと、2010年の1月にStartup Digestのキュレータとなり、日本のスタートアップコミュニティのイベントを紹介する立場となった。
 それからは、あれよあれよといううちに、数々のスタートアップイベントの企画運営をこなしたり、審査等の取りまとめをしたり、何より年間500-600サービスに触れるような日々となった。投資家でもなんでもないのに…だ。

そういえば、数年前には「Startup」という言葉も日本には定着していなかった。
 しかし、「Startup」というコンセプトの焼き直しにより、起業家・VC・エンジェル・メディア・支援者、もともといたそれぞれの立場の人たちを改めて顕在化させ、それぞれの立場からのコミュニティづくりが活性化したのは事実だ。同じ場所に集わせるには、やっぱり言葉から改めての焼き直しも大事だったのだな…と思う。

 私は今もその中の立場としては何者なんだろう…。
 何者でもないのだけれど、おそらく何かが変わる中心に関わっていられること、何かが生まれてくる中心を感じていられることを幸せに思う。
 私は、昔も今も、何かすばらしいサービスや想いを持った人を舞台に上げることを願っている。
 舞台に上げる人はできれば次の世代がいい。娘の世代、まだ10代だけれどその子たちがきっと日本の将来と世界の将来を担ってくれるはずだ。いや、年齢でくくるのもナンセンスか。
 いつもいつも、毎日毎日自問自答する日々。

 でも、実はこれをブログに書いて振り返りを行っているってことは、すでに私の中で一つもう次の方向に向かっているということかもしれない。

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