【奥田浩美ブログ】
シリコンバレーから戻りました
シリコンバレーから戻りました。香港・深セン滞在も合わせると、約2週間ぶりの日本です。海外から帰国すると、日本の社会にふとした「違和感」を覚えることが増えましたが、今日は子育てという視点から、その一つを綴ってみようと思います。
昨日、、「育児は留学のようなもの:留学のような育児から戻ってきた女性たち」というブログをアップしました。
それを機に、18年前の出産直後の自分の戸惑いを振り返りました。
・会社のメンバーだと仕事の内容についていけなくて落ち込み
・出産ママ友だと同じ月齢の子を比べて落ち込み
・子供の居ない友人の集まりが楽しそうで落ち込み
・ベビー中心だけだと「私」が居なくなるようで落ち込み
……まさか、あの私ですらそんな風に悩んでいたとは、今となっては少し意外です。
当時の夫は多忙なサラリーマンで、日中はほぼワンオペ育児。「子育てはまるで異文化体験だ!仕事なら言葉やお金、権威で動かせるのに、この小さな生命体には全く通用しない!」と夫に八つ当たりしたこともありました(今なら絶対言いませんが!)。それでも夫は、帰宅後はずっと娘の世話をしてくれました。
もちろん、子育ては心底楽しかったし、小さな命を腕に抱く日々はかけがえのない宝物でした。でも、ふとした瞬間に、言いようのない感情が湧き上がってきたのです。仕事への焦り、社会との断絶感……18年前の社会は、今よりもずっと「母親」としての役割を強く求めていた気がします。
お金、権威、言葉では決して動かない、そんな純粋な存在
昨日のブログを書いていたら、当時の記憶が蘇り、無性に今の赤ちゃんを抱きしめたくなりました。あの頃の私、なかなか尖ってたなぁ(笑)。でも、言葉やお金、権威、言葉では決して動かない、そんな純粋な存在こそが、未来への希望そのものなのかもしれません。
職場は過去の積み重ねた価値で判断されることが多いけれど、子育ては未来の可能性に目を凝らす営み。昨日書いたのは、そんな対比でもありました。さて、シリコンバレーで未来の潮流を垣間見てきた今、日本の育児の未来について、どんな違和感を感じたのか。それはまた別の機会に書きたいと思います。