【男性の社会的消滅】なぜ男性は定年後に社会から消えてしまうのか?私が「ケアの価値」を問い続ける理由


【奥田浩美ブログ】

「未来はすでにまだらに存在」

先日は、Wellbeing メタバースと呼ばれるオンラインセミナーで講演しました。
いつも通り私の講演は、こんな言葉で始まります。

「未来からきました」

もちろん、タイムマシンに乗ってきたわけではありません。未来はすでにまだらに存在していて、この日は肝付町の存在している未来についてお話ししました。私は2010年ごろから肝付町を訪ねては、「未来への出張」と言っていました。

このスライドが示すように、私が通い続けている鹿児島県肝付町の2010年時点での人口ピラミッドは、2030年に予測される日本の姿とそっくりだったのです。

ということで次はこのスライド。これは消滅が始まっている集落の写真です。

そして、この「未来」の地域で私が見ているのは、仕事という社会的な役割を失った途端に、コミュニティから姿を消してしまう男性たちの姿です。

仕事という枠が外れた時、社会から男性が消えていく

「私の父の老後は、なぜあんなに苦しそうだったのだろう」
「父は何と闘っていたのだろうか」

講演時に、私は亡くなった父の介護の現実を話し、皆に問いかけます。父の孤独。これは、決して他人事ではない、日本のすぐそこにある未来の課題なのです。

そしてよく「定年後は趣味や友人を作ればいい」と言われますが、私はそれだけでは社会的消滅は防げないと考えています。なぜなら、退職後にいくら仕事以外の趣味や友達を作っても、多くの男性が「ケア」という概念からは遠い存在のままで、いざ自分が少し弱った時に、それまでの繋がりからすっと離れ、社会から消えてしまうからです。

それは、自らが「ケア」という価値を生み出して誰かに貢献する側に立つ経験に乏しいだけでなく、自分が「ケアされる」ことを心からの幸せだと思えない、という男性があまりにも多い、という根深い問題が横たわっているからに他なりません。

「弱さ」を悪とする社会が、「ケア」の価値を見えなくしている

では、なぜこのようなことが起きてしまうのか。
私は、その根源に世の中の『ケア』の価値が、正当に評価されていないからだと考えています。

そもそも「ケア」とは、世話をしたり、面倒をみたり、時には「厄介」に思われたりもする、人の「弱さ」に常に向き合う行為です。誰にも避けられない衰えや死を前にした時、私たちは「独りでは生きていけない」と痛感します。ケアとは、人間の弱さを大前提として、その上で生を肯定し、支える営みなのです。

しかし、私たちが生きる競争社会は、「弱さ」を前提としてきませんでした。むしろ「弱いこと=悪いこと」であるかのように扱い、そこから目を逸らしてきました。

だから、かつて「強くて尊敬されていた自分」のプライドが、助けを必要とする今の自分を受け入れられない。私は、多くの男性たちが「過去の強かった自分自身」と闘い、苦しんでいるのだと考えています。

もし、現役で働いている時から、誰もが持つ「弱さ」を認め、互いに支え合うことが当たり前の社会であれば。定年退職が、社会からの「絶滅」を意味することはなくなるはずです。

全ての人で担うからこそ価値がわかる。「ケア貯蓄」という未来への投資

「ケアをしたら、何か見返りを期待するのか?」
「見返りがない場合、そこには何があるのか?」

ケアの本質は、単純なギブ・アンド・テイク、つまり「価値交換」ではありません。それは、お互いの存在を支え合う「ケアの交換」です。

この感覚を社会の当たり前にするために、私は「ケアを特定の人だけに分業させてはいけない」と強く訴えています。女性だから、専門職だから、という役割分担をやめる。性別や年齢に関係なく、全ての人がケアの当事者になること。そうして初めて、私たちはケアの本当の価値を、心の底から理解できるのです。

破壊の学校

私が主宰する「破壊の学校」も、こうした問題意識から生まれた活動です。これは、地域の社会課題の現場に身を置き、これまでの思い込みや古い価値観を一度「破壊」し、手放すための旅です。

新しいものを生み出す前に、まず今あるものを壊してみる。その痛みを経験しながらも、未来を信じて軽やかになるための場です。

そこで私が提案しているのが「ケア貯蓄」という考え方です。

これは、将来自分が助けてもらうためのポイント稼ぎではありません。誰もが幸せに生きていく未来のために、日頃から地域や人との繋がりの中で、お互いにケアし合う関係性を育んでいく、未来への投資です。

 

「破壊の学校」のような場で、これまでの常識を壊し、そして「ケア貯蓄」で新しい関係性を育んでいく。
誰もが「弱さ」を抱えながら、それでも「ケア」に感謝し、互いを肯定し合って生きていける。そんな未来を、皆さんと一緒に作っていきたいと、心から願っています。