【奥田浩美ブログ】
流れゆく12年の歳月と、変わりゆく心
父の遠距離介護に始まり、母の介護へと続く日々。気づけば、いつしか12年の歳月が流れていました。
以前は、そんな親の姿を見ながら、「自分だけは老後にしっかり備え、健康を保ち、誰の手も煩わせないようにしなければ」なんて、理想を思い描いていたものです。
けれど、人生とはままならぬもの。近頃ではその考えもすっかり影を潜め、むしろ、いつか来る「その日」には、周囲に「迷惑」をかけさせてもらおうと心に決めているほどです
「迷惑」を負い目にさせる社会への、ささやかな疑問
そもそも、「迷惑」をかけることを、ことさらに負い目に感じさせる社会の風潮こそ、私は少し窮屈に感じてしまうのです。誰もが誰かに支えられ、そしていつかは支える側に回り、そうやって人生のバトンを繋いでいく。それが自然な姿だと思うのです。私は母のために力を尽くせる自分と兄妹を誇りに思うし。
一体、「迷惑」とは何なのでしょう。人生の黄昏時、時に迷い、時に惑いながらも懸命に生きるその姿。その傍らにそっと寄り添うことの尊さを、私たちはもっと知るべきなのかもしれません。私自身、その経験から心が豊かになったと実感しています。もちろん、言葉で言うほど簡単なことではないけれど、それでも。
いつか、みんなの優しさに甘える日を夢見て
だからこそ私は、今できることに心を注ぎ、ありったけの愛と力を周りの人たちに届けたい。そして、いつか自分が支えられる番になったなら、遠慮なく皆の優しさに甘え、弱い自分も受け入れ支えてもらいながら、この素晴らしい人生をとことん味わい尽くしたいのです。波瀾万丈な人生だった分、盛大に「迷惑」をかけるかもしれません。できることの少なさに迷い、できないことの多さに戸惑い、きっと怒りや悲しみを爆発させてしまうでしょう……ふふふ。
写真は、今回の病院からの一時帰宅の際、母たっての希望でとんかつを食べるために並んだ時のものです。普段は嚥下食でとんかつは難しいのですが、メンチカツにしたところ、少しですが口にすることができました。