「僕、奥田さんの子供になりたいです」という君へ。自由という名の「猛毒」と、それを飲み干す覚悟について


先週、通信制高校の「HR高等学院」で、トップランナー講座という名称の講義に登壇する機会がありました。 既存の枠に収まらない可能性に満ちた生徒たち。私自身も多くの刺激をもらいました。

そんな中、1時間の私の講演を終え、対話の時間と呼ばれるQAで一人の生徒が真っ直ぐな目でこう言ったのです。

「僕、奥田さんの子供になりたいです」

会場がドッと沸く中、私は反射的に、でも真顔でこう返していました。

「奥田の子供は、きっと苦しいですよ」

冷たく突き放したつもりはありません。 でも、それが私の偽らざる本音であり、私が娘に課してきた「教育」の正体だったからです。

今日は、25歳になり私の事業を継いでいる娘への教育の集大成として、そしてあの時手を挙げてくれた君へのアンサーとして、「自由」と「覚悟」について書いておこうと思います。

「自由からの逃走」を許さない家

世の中の多くの人は「自由になりたい」「好きなことをやりたい」と言います。 学校から、親から、会社から、社会から、しがらみから自由になりたいと。

でも、いざ誰からも命令も受けず、全ての選択権を手にした時、人はどうなるか。 多くの人は、その孤独全責任を負う恐怖に耐えられなくなります。 そして、また別の誰かに支配されようとしたり、世間の常識というレールに自ら戻ろうとする。エーリッヒ・フロムが著書『自由からの逃走』で説いた内容です。

私が「奥田の子供は苦しい」と言ったのは、我が家がこの「自由からの逃走」を許さない場所だからです。

親が答えを出してあげれば、子供は楽です。失敗しても「親のせい」にできるから。 でも、奥田家にはその「逃げ場」はありません。あるのは、自分で決めて、自分で背負うという、ヒリヒリするような自由の荒野だけです。

娘が見つけた「小さな欲望」と「大きな自信」

親がどんどん答えを出して支配しようとしていた我が家。そんな環境で育った娘は17歳でそれにNOを宣言し、自由の道へと繰り出しました。私から出された選択肢をすべてリセットするという宣言です。

そして、その自由から導かれた解としては、最初から立派な夢を持っていたわけではありません。 数年前のブログ「自らの夢が持てる人になるために」に書きましたが、彼女が「やりたい」と言い出したのは、「髪を派手な色に染めたい」「ピアスを開けたい」「推しのライブに行きたい」という、親から見れば卒倒しそうな小さな欲望でした。

でも、彼女はそれを「自分のお金」で一つずつ叶えていきました。 そしてその先で、「世界を旅したい」「お箏(こと)の師範になりたい」という次の目標を見つけ、それもまた、自分の稼いだお金で、自分の足で成し遂げました。誰かに言われたからじゃない。自分の「やりたい」という衝動に従って動き、その痛みもコストも自分で払い、 その積み重ねが、今の彼女の誰にも媚びない強さを作っています。

彼女は今、私の会社で新規事業を作り承継者として働いていますが、それは私の言いなりになるためではありません。 ある意味コロナ時代の救世主として新規事業を会社の仲間と立ち上げるために自らの意志で加わったのです。

喜怒哀楽、五感のすべてを開け

自由であるということは、自分のセンサー(五感)だけで生きていくということです。

「楽しいこと」だけを選べばいいのではありません。 本当にやりたいことを成し遂げるには、「喜怒哀楽」のすべてを味わい尽くす必要があります。

理不尽なことに本気で「怒り」、悲惨な現実に「哀しみ」、美しいものに「感動」して涙を流す。 ネガティブな感情に蓋をしてしまえば、ポジティブな情熱も湧いてきません。感情の井戸は繋がっているからです。痛みを感じることを恐れてセンサーを切ってしまえば、世界を変えるような「熱狂」も生み出せません。

猛毒を飲み干して、空へ

「奥田さんの子供になりたい」と言ってくれた君へ。

私の子供になるということは、「誰かのせいにする人生」を捨てるということです。 そして、自分の五感を全開にして、痛みも喜びもすべて燃料に変えて燃え上がるということです。それは最初は「苦しい」かもしれない。自由とは、甘い蜜ではなく、飲み干すには覚悟がいる「猛毒」のようなものだから。 でも、その毒を薬に変えた時、君の背中には誰にも奪われない「最強の翼」が生えてきます。

娘よ、そして若きトップランナーたちよ。

自由から逃げるな。 その恐怖を超えて、私と同じ高さまで、いや、私よりも高く飛んできなさい。

写真は娘がニュージーランドに留学に向かう際に、飛行機の中でこの本を携えていた様子。当時17歳