自らの夢を持てる人になるために

自らの夢を持てる人になるために

【奥田浩美ブログ】

もう数年前の話だけど、

娘に「私には先の夢なんか無くて、それよりも自分がやりたいことを一つずつ、実現していきたいの!」
と言われたことがあった。

進学を目の前にしつつも進学に興味を持たない娘に、「じゃあそれは何なの?」と詰め寄ったら、「自分がやりたいこと」は

・髪を好きな色に染めたい
・好きな場所にピアス開けたい
・推しの歌い手のライブに好きなだけ行きたい

だった。そのあまりの”意識の低さ”に卒倒しそうになったけれど、それを私は見守りながら、娘は一つずつ自らのお金で実現させていった。この3つの欲望はあっという間に1ヶ月もたたずに叶えられて、次は何? 次は何?って黙って見守ることにしたら、その次くらいに

・世界を旅して異なる価値観に触れたい

・母親のやっている仕事を経験してみたい

・お筝を師範まで成し遂げたい

といった「自分がやりたいこと」が出てきた。

小さな欲望が叶えられて、その次に行くのだ。

私は母としてあらゆる場で

「あなたが社会で成し遂げたいことは?」「あなたの夢は?」

というようなことばかり幼い頃から突きつけてきた。娘の小さな欲望には興味を持たず、親から見ても納得が行く夢への誘導。

そこが弾けてから、不器用な娘と支配したがりの母親(私)は、進路で揉めたり、沢山の失敗をして、これらのことがわかるまでに4年を費やした。

ところで先週、娘が正派邦楽会・准師範試験という、いわゆる名取試験に合格した。和のお稽古ごとは続けていれば師範になれるという流派もあるが、正派邦楽会の師範は非常に難しく、実技試験と筆記試験があり、実技も古曲から歌曲・器楽曲まで数多くの曲を試験用に仕上げる必要がある。筆記も音楽史、音楽理論、聴音など準備を必要とすることだらけ。この1年は師匠と週に2−3回、最後の1-2カ月は毎日のように師匠とお稽古。

習い始めは決して優等生ではなかったけれど、自分で受験すると決めてからの娘の行動は眼を見張るようだった。
そして試験に関わる費用や謝礼を自分がこれまで稼いだお金だけで賄ったのもきっと自分の誇りとなるだろう。

福山で仕立ててもらった柾目のくり甲

そういえば、歩みが鈍いと思っていた娘は、結果的に3年で3つの夢を叶えた。

・世界を旅して異なる価値観に触れたい

・母親のやっている仕事を経験してみたい

・お筝を師範まで成し遂げたい

あのときに決断したからこそコロナの時代に入る前に世界を飛び回れたし、コロナで外に出れなくなったからこそ、東京で集中してお稽古が出来た。

ピアスや髪の色やライブとかは、今となってはどうでも良いことのように思えるが、子供がやろうとしていることを、親が勝手につまらないと思ったりすることが、子どもたちの夢を阻んでいるんだな・・・とふと今も思う。

そして、娘にことに限らず、自らの大きな夢を持てる人になるためには、目の前の小さな欲望に忠実になって、一つずつフフフ・・・と言いながら自分の意志でガンガン叶えていこうと思う。

つまらない・小さなことの欲望の先に大きな夢が待っている。

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