京都、魂の学舎


昨日のこのパネルでいくつかの提言を行ったのですが、ほとんどアドリブなので少し自分の振り返りのためにも書き残しておきます。

・京都が持つスピリチャル”精神性”の打ち出し方

日本の精神文化の中心地の一つとして、スピリチュアルな先進都市という打ち出し方が可能。魂の学問は一つ間違うと特定の教義への依存や排他的な思考の強制など洗脳的なイメージを持たれがちだが、本来のスピリチャル”精神性”を「〇〇道」という側面から体感することが可能。また、そういったものが集積する地として世界的に意味を持たせられる。

「〇〇道」は、特定の宗教や教義に偏らず、普遍的な精神的価値観の体現が可能。そういった宗教分離が可能なことが非常に大きい。

京都はそういった側面をリベラルアーツの中にもう1科目組み込むようなイメージの打ち出しができる都市ではないか?

・「インドに行ったら人生変わった」と人々が言うのは、そういうことを求めていくからだ。「京都に行ったら人生変わった」と言える要素がたくさんあるのに打ち出し方が勿体無い。多くの海外から来る人々はなにかそういった体験を求めていくはず。

時代や文化を超えて人々に共通するものの解明の場、魂の成長を支える基盤という打ち出し方が必要で、観光地だけではない自然を活用した精神的な空間の創出、京都に滞在することで自身の内面を深く見つめなおせるというような側面を打ち出す。

会場の東本願寺の講堂にも「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」「生まれたことの意味をたずねていこう」という垂れ幕が当たり前のように貼ってあるが、こういうものに囲まれて私たちは日々過ごしている。(写真参照)

そういった“当たり前”に気づくことがさらに重要な時代が来るし、そういう場所を求めている。インドのリシケシのように。

・「にじり口から入る」という概念が大きな意味を持つ時代

正義が多様に存在する時代に「にじり口から入る」という姿勢が重要な意味を持つ時代が来た。

そもそもすべて文化も宗教も生活スタイルも異なる人間同士が生きていくために敬意を払うと言った姿勢は今度必要になる。

力でねじ伏せるスタイルが優位な今だからこそその価値は大きい。そもそも力でねじ伏せる歴史を経た1000年の年の蓄積という文化は大きい。京都という街はそういった権力抗争の時代も経た結果の街。ピュアな精神性だけではない部分が深みを持っている。

まだまだ、いろんなことを喋った気がしますが、殴り書きを残しておきます。

あと、何喋りましたっけ??w