「破壊の意味」「破壊の価値」をインドに学ぶ

「破壊の意味」「破壊の価値」をインドに学ぶ

今年は私にとって「破壊」の年になる



今年はものすごく面白い年になりそうと言いつつ1年の六分の一が過ぎました。
静かなんだけど、ものすごく渦巻いているような感覚。そういえば以前もこんな感覚の年があったな…と思い出すと、6年前にありました。何が?
6年前に1度私にとっての”破壊の年”というのがあって、今年もその時のような”破壊の年”になる気がします。こういうふうに「今年は破壊の年になるぞ!」と意識すると今まで気づかなかった多くのこと、呪縛や制限、思い込み、行動様式が浮かび上がってきて、意識的に葬ろうと思えます。


インドでは創造の神より破壊の神が人気



写真はヒンドゥー教の神様、シヴァです。ヒンドゥー教では三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」がいます。不思議なことに、創造の神:ブラフマー神が一番人気が無いです。インドの地域によりますが、破壊の神シヴァは大人気です。(この話だけでもう一つブログ書けますね)

私が感じるインド的発想では、まず破壊が先。破壊しない限り創造は生まれないという概念。
ちなみに、シリコンバレーで言われる「創造的破壊」という概念はこれと全く異なると私は思います。「創造的破壊」って、新たな効率的な方法が生み出されてから、それと同時に古い非効率的な方法は駆逐されていくという流れで、創造が先にあり、その一連の新陳代謝としての駆逐=破壊されていくという概念。
そうじゃなく、後始末考えず・・「違う!!」という感性にもものすごい意味があるということをもっと伝えたい。私たちは新しいことを始めようという時、今までの考え方や行動様式を踏襲した上で新しいことを始めようとします。土台の古いものを無くさず新しいものを重ねる。

日本で「破壊」の価値が学べるのだろうか


「破壊」はいったん手放すことです。
言い方を変えると、宇宙の摂理を信じて無になるために壊す。
そう考えると、現代の日本では「破壊」という概念を学ぶ場が少ないです。
「破壊の意味」「破壊の価値」ってなかなか社会で学ぶチャンスはほとんどありません。

日本でいまとにかく「創造性」「創造性」って言われ続けていますが、目の前のものの破壊の仕方、手放し方を教える教育は皆無です。でも、子どもたちの一部はその価値を生まれながらに知っています。例えば、乳幼児が次のステップにいくために積み木を崩したり、砂山を崩したりすることに快感を覚えるのも、破壊することで起こる進化への感触を捉えているものだと思います。
そんな感性を信じて「破壊」しようとしている子どもたちに寄り添える教育が必要だと思っています。学校教育の中心から外れたがる子どもたちは実は王道から逸れてるんじゃなくて、「破壊」の価値を知っているっていう捉え方もできます。創造より一つ前の価値として。

創造だけしかしない子供を作っていいのか


私はここ数年、大人が綺麗に整えたステージに創造性の高い子どもたちを引き上げてきたけれど、実は器用に「創造」に向かう子どもたちだけを育てちゃいけないなと最近思っています。
大人が創った土台には古い価値観や思い込み行動様式が埋め込まれています。そこに器用な子供を立てて、「さあ、若い人なりの創造性を活かして羽ばたきなさい!」と言っても、所詮は古い土台なのです。子どもたちに必要なのは、古い土台・古いシステムにまずは疑問を持つ力。そして「破壊してもいいんだ」と思わせる大人の想いの深さです。
もう少し詳しく調べてみたいのだけど、もしかしたら、いまインドが創造を重視される時代に多くの人材を輩出しているのは、宗教的概念でも「破壊」の価値が身近にあるからかもしれないと思いました。インド人は破壊の神が大好きです。それは固定した階級制度が背景にある反動かもしれませんが。

破壊の学校を作りたい


「さあ、新しいことにチャレンジしよう!」
という教育の前に、まずは何か破壊しよう!という教育を先にもってこないと駄目なのではないでしょうか。 今までの常識や価値観や制限など。

まずは大人向けに「破壊の学校」を作りたい。
それがどういうものかを今日から考える。

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