「同じ土俵で勝負する」ということの幻想
【奥田浩美ブログ】
土俵への女性の立ち入りを厳しく禁じる相撲の伝統と、ジェンダー議論が対立を生み、週明けも激しい議論になっています。
世の中の議論は他のメディアなどを見ていただくとして、ここは私のブログですので、あのアナウンスを聞いた時の私の反応だけを書きたいと思います。
「女性の方は土俵から下りてください」
「女性の方は土俵から下りてください」
「女性の方は土俵から下りてください。男性と代わってください。」
動画のそのアナウンスを聞いて、私の胸はぎゅーーーんと締め付けられるような思いでした。
正確に言うと泣きたくなるような、数十年分の心のなかに閉じ込めて昇華させたものが吐き出されるようなそんな気分です。
大げさ!と思う方もおおいかもしれません。
その瞬間に私は思いました。
これはトラウマだ!!!
数十年、そういう場所を避けてきて、そういう思いを閉じ込めて、すべて切り開いてきた自分のトラウマ。
そこまで思う女性がどれくらいいるでしょうか?もしかしたら女性の数%かもしれませんが、このブログを読む数%の女性は私のこの瞬間のぎゅーーーんと締め付けられるような思いに共感してくれるかもしれません。
今の私があるのは、そういう女性を乗せない土俵を尊重して(いるふりをして)、乗せてくれる土俵、自分が作った土俵で勝負をしてきたからです。
今回の件も、結局、私の胸がぎゅーーーんと締め付けられる思いをする相撲という場所が嫌なので私はもう相撲を見ることはないと思います。仮に私が巨万の冨を得ても、タニマチになることはないでしょう(笑)。
トラウマになってしまったのですから。
男性だけの伝統を守る場所、それはそれで視界に入れない。
「そこと戦わなきゃ伝統は変わらない!」という女性も多いと思いますが、実はわたしは沢山の伝統が継承されず終わっていった姿も沢山見ています。残念な話ですが限界集落での伝承されなかった多くの伝統の現実です。
多くの地域で「神事として男性しか駄目」と言っていた神事が人口減少と女性の地位向上、なにより女性の世帯主が増えることにより、スポンサー的な人が変化を始めます。女性が政治的にも経済的にも力を持てばあっという間に変わっていきます。
そして、伝統を守りつつ「少しだけ今風のルール」が加わっていくのです。
ある意味、時代が最適な解を導き出していきます。
だから、そういう時代を待つことも私にはできるわけです。
でも、待つだけでは嫌だ。
今回の「事件!?」でよりクリアになったことがあります。
日本語の『同じ土俵で勝負する』という言葉が日本人は好きですが、
これからは実は見えないけど大きな差がある場所での勝負という意味としか思えません(笑)
そうです、同じ土俵なんてないんですよ。それは幻想でした。
伝統に守られた土俵が息苦しく感じる人は、それを受け入れずに新しい土俵を作ったっていいのです。
私はそうやって新しい土俵を作って生きてきました。
一律の点数で評価される受験が息苦しい人
就活のあの場が息苦しい人
そういうものもすべて「誰かが作った伝統の土俵」です。
まずは、感情的に、本質的に嫌だ!!
伝統だろうが嫌だ!!
と表明したっていいのです。
伝統を守る美しさを変えたくないんだ!
感情的に、本質的に!
という人がいるのと同じように。
その両者が表面化すると、時代は変化します。
今回の件は、最初、男VS女みたいな描かれ方をしていましたが、そういうことは一切なくて、伝統とはいえ世の中に合わせて改革したい男女 VS 伝統を変えないことを美とする男女、さらにはその間のグラデーションがあることが見えはじめました。
そして『伝統』という概念に対しても個々が幅広く発信できる時代となり、個々それぞれの想いがあることが明確になりました。
男にとっても女にとっても「同じ土俵」はなかったのです。
そういった男女を越えて信じる土俵が何なのかを話し合わなきゃいけない時代がきています。
次の時代の個々を守る「伝統」とは何でしょう。
「VS」が溶けていく時代の到来です。
土俵事件!?から感じたこと
土俵への女性の立ち入りを厳しく禁じる相撲の伝統と、ジェンダー議論が対立を生み、週明けも激しい議論になっています。
世の中の議論は他のメディアなどを見ていただくとして、ここは私のブログですので、あのアナウンスを聞いた時の私の反応だけを書きたいと思います。
「女性の方は土俵から下りてください」
「女性の方は土俵から下りてください」
「女性の方は土俵から下りてください。男性と代わってください。」
動画のそのアナウンスを聞いて、私の胸はぎゅーーーんと締め付けられるような思いでした。
正確に言うと泣きたくなるような、数十年分の心のなかに閉じ込めて昇華させたものが吐き出されるようなそんな気分です。
大げさ!と思う方もおおいかもしれません。
トラウマの喚起
その瞬間に私は思いました。
これはトラウマだ!!!
数十年、そういう場所を避けてきて、そういう思いを閉じ込めて、すべて切り開いてきた自分のトラウマ。
そこまで思う女性がどれくらいいるでしょうか?もしかしたら女性の数%かもしれませんが、このブログを読む数%の女性は私のこの瞬間のぎゅーーーんと締め付けられるような思いに共感してくれるかもしれません。
今の私があるのは、そういう女性を乗せない土俵を尊重して(いるふりをして)、乗せてくれる土俵、自分が作った土俵で勝負をしてきたからです。
今回の件も、結局、私の胸がぎゅーーーんと締め付けられる思いをする相撲という場所が嫌なので私はもう相撲を見ることはないと思います。仮に私が巨万の冨を得ても、タニマチになることはないでしょう(笑)。
トラウマになってしまったのですから。
男性だけの伝統を守る場所、それはそれで視界に入れない。
「そこと戦わなきゃ伝統は変わらない!」という女性も多いと思いますが、実はわたしは沢山の伝統が継承されず終わっていった姿も沢山見ています。残念な話ですが限界集落での伝承されなかった多くの伝統の現実です。
多くの地域で「神事として男性しか駄目」と言っていた神事が人口減少と女性の地位向上、なにより女性の世帯主が増えることにより、スポンサー的な人が変化を始めます。女性が政治的にも経済的にも力を持てばあっという間に変わっていきます。
そして、伝統を守りつつ「少しだけ今風のルール」が加わっていくのです。
ある意味、時代が最適な解を導き出していきます。
だから、そういう時代を待つことも私にはできるわけです。
でも、待つだけでは嫌だ。
「同じ土俵で勝負?」
今回の「事件!?」でよりクリアになったことがあります。
日本語の『同じ土俵で勝負する』という言葉が日本人は好きですが、
同じ土俵:
条件や状況が対等であるさま
条件や環境をそろえて勝負するさまなどを意味する表現 (Weblio 辞書)
これからは実は見えないけど大きな差がある場所での勝負という意味としか思えません(笑)
そうです、同じ土俵なんてないんですよ。それは幻想でした。
自分の土俵を作ろう
伝統に守られた土俵が息苦しく感じる人は、それを受け入れずに新しい土俵を作ったっていいのです。
私はそうやって新しい土俵を作って生きてきました。
一律の点数で評価される受験が息苦しい人
就活のあの場が息苦しい人
そういうものもすべて「誰かが作った伝統の土俵」です。
まずは、感情的に、本質的に嫌だ!!
伝統だろうが嫌だ!!
と表明したっていいのです。
伝統を守る美しさを変えたくないんだ!
感情的に、本質的に!
という人がいるのと同じように。
その両者が表面化すると、時代は変化します。
今回の件は、最初、男VS女みたいな描かれ方をしていましたが、そういうことは一切なくて、伝統とはいえ世の中に合わせて改革したい男女 VS 伝統を変えないことを美とする男女、さらにはその間のグラデーションがあることが見えはじめました。
そして『伝統』という概念に対しても個々が幅広く発信できる時代となり、個々それぞれの想いがあることが明確になりました。
男にとっても女にとっても「同じ土俵」はなかったのです。
そういった男女を越えて信じる土俵が何なのかを話し合わなきゃいけない時代がきています。
次の時代の個々を守る「伝統」とは何でしょう。
「VS」が溶けていく時代の到来です。