ワタシ的”Give”の時代の終わり


【奥田浩美ブログ】

宛名のない手紙のように、この言葉を綴る。
この時代の片隅で、もし同じ痛みを抱く人がいるのなら、
その心の隣に、そっと置かせてもらうために。

ポエムに聞こえても、慟哭に聞こえても構わない。
ただ、同じ想いが「ここ」にあると、感じてくれたなら

ワタシ的”Give”の時代の終わり


幼い頃から鈍感なふりをして生きてきた
私には人のいろんなものが見えるのに
鈍感なふりをしないと心が壊れると思った

怒りも哀しみも存在しないようなものとして封印した

「共感の時代」というものが来て
共感できることが評価されるようになると
少しだけ自分の敏感な感覚を解き放った
解き放つと私には人の本質が見えて
多くの人の想いも引き出せて
それが評価されて
評価に伴って、富や名声や人脈など、多くのものがやってきた

敏感になって人に共感し、人さまのお役に立てたけれど
なぜだか私は自分の羽のようなものを1本ずつ失ったような気がした
羽を失う時に少しだけの痛みと血があったから
代わりにやってきた評価や富や名声や人脈は当たり前だと受け取った
受け取ると豊かになるような気がしたけれど
私は豊かにならなかった

羽はどんどんむしられて
もっと!もっと!と時代に鼓舞され
自分の敏感な感覚は共感の時代の「商品」となった

ある日ふと気づいた

本当は豊かだったのは、羽が綺麗な私そのものだった

何も与えなくても完全な私
何もしなくても、羽を抜かなくても、私が「ここ」に生きていることが豊かなことだった

自分が飛ぶための綺麗な羽を差し出す必要はなかった

今の社会での「共感すること」として奪われるものは
”Give”という表現で、もてはやされたけれども
”Give”は私にとって本質ではなかったし
”Give”によって循環して社会に生み出されたものは
私がほしかったそれではなく、
古い価値観に基づくものだった

もう私の世界で”Give”から始まる時代は終わった

私からあなたへ与えるのではなくて
私の中にあるものも変わらず
あなたの中にあるものも変わらない状態で
重なり合って感じるもの

それが私が心の本質として考える共感だ

私は「ここ」から動かない
もう人のために自分の場所から動かない

それでも私は「ここ」からあなたを感じられるし
あなたは本当は「ここ」の私を感じられるはずだ


これは私の診断結果だけど、HSP診断にどこか否定的な私

私の内側で疼く繊細さは、それよりもっと深く、名状しがたい。
私の繊細の極致は、鈍感の仮面を被ることだった。

今はもうその仮面は外したけど