卒業式を放棄した自分へ
【奥田浩美ブログ】
インドから帰国しました。
31年ぶりにインドに行って本当によかった。辛い思い出しかなかったせいで、ずっと封印していました。英語を喋るとその頃が思い出されて心が苦しくて、何かトラウマと言うか、そんな感じの人生を送っていました。
インドのボンベイ大学 Master of Social Workの学生時代に思い出すことは、売春から救い出したと思っても自殺してしまう女の子、崇高な活動と思っていたのに憎み合うシスターたち、スラムに連れ去られそうになりタクシーから飛び降りたこと、先進国から来たんだから解決策があるはずだと詰め寄られるディスカッション。なにひとつ自分が消化できたものはなく、自分はこの国で何も役に立てないし、二度と行けない国になるかもしれないと思っていました。
でも、今回行ってみてわかったのは、22歳の日本から来た「女の子」がよく2年も外国人として頑張ったよなーということ。世の中には想像も出来ないような人間の痛みがあって、自分の人生をかけても変化しきれない社会があって、外国の人間がどんなに頑張っても達することができない域を見てしまったんだということ。
たとえば、まだ私が滞在していた頃はサティという、夫が死んだときに妻はそれに従って死ぬことが美徳とされ、人々に送られて生きたまま焼かれるという風習が年に数件残っていました。そこに対して、ソーシャルワーカーが啓蒙していくという際に、「Hiromiは先進国から来ているのだから、一番説得力があるはずだ。止めさせる方法を考えなさい」みたいなワークがあったりします。みんなの前に立った私は無言でひとことも喋れませんでした。そういう積み重ねの中での自己嫌悪、葛藤、無力感。優秀な友人の後ろをずっと付いて回り、わけのわからないまま日々を過ごしたフィールドワーク。なにひとつ結果も功績もインドという地に残せなかった。
私のインド時代の自分に対しての評価は本当に低く、自分が卒業証書を手にする資格はないと、卒業式も欠席しました。(いま思うとなんて惜しいことをしたのでしょう)
そして、送られてきた卒業時の成績証明書もほとんど開かないまま今日まできました。なんの評価もされるべきではない2年間だと思っていたからです。
でも、帰国して卒業時の書類を改めて見て驚きました。
自分が思っていたよりも頑張っていたからです。
大学の上位3割程度が「First Class」、中間が「Second Class」、下位が「Pass」そして、最後がFailです。
私は外国人が一人もいないクラスで、生のインド社会の課題に触れながら、もがいてもがいて得た結果がこの「Second Class」という成績。ある意味、インドの社会課題に対応するときに大学生の中に小学生が混じっているような状態のクラスの中で、このポジションで終えられたことに誇りを覚えました。この成績証明書は再び私の宝物にしようと思います。
さあ、やっと本当の意味で得た「卒業証書」。
これからどう使ってやろう!!
私は自分が求められるところに自然に流れていくのでしょう。
今日が卒業証書授与式の気分!
私は、Master of Social Workです!!
次の人生が始まる感じ。