近くの人が透明になっていく感覚

近くの人が透明になっていく感覚

【奥田浩美ブログ】

近くの人が透明になっていく…そんな感覚をここ数年抱いています。

私はそんな分断されていく社会が嫌だ。

この数年、世界中を飛び回りました。私からしたら遠くの離れた価値観の人に会いに行き、自分の世界を広げるつもりでした。シリコンバレーやエストニア、そしてアジア各国、沢山の人を海外にも連れて行きました。世界を見せれば多様な価値観が生まれるだろうと。
だけど、どこに行っても、国を超えても民族を超えても、価値観の近しい人と出会い、私達は国を超えても民族を超えても、私達は同質な人と心地よい関係を築いていくだけでした。

そして起きていく世界的分断。
近くの人が透明になっていく感覚になんだか涙が流れます。

娘とサンフランシスコの街で過ごした日のことを思い出しました。

山火事の影響で私達はサンフランシスコのノブヒルのインターコンチネンタルホテルで外出できず過ごした日。私達が過ごすエリアと遮断された「下」の世界との不条理になんとも言えない気持ちになり、その不条理を娘と語り始めたら明け方まで暗い気持ちになり眠れずにいました。
サンフランシスコだからということでもなく、世界はどんどん分断されていき、持つ者にとって合理的な社会システムが作られて、その社会システムからこぼれ落ちていく人々には目もくれません。

こぼれていくほうが相当な数になっているのに、社会システムの中で「正当に」生きている人なのに、「持つ者にとって合理的な社会システム」からは見えないもののようになっていきます。

東京のど真ん中で、ある一定の層に囲まれている私もそうだし、これを読んでいるあなたもそうかもしれません。

そして、離れた場所でも繋がれるインターネットでつながったように見えた世界が、実はコミュニティごとに密に繋がっただけで、分断されて、ある世界の人に、ある世界のことが全く見えなくなってきています。ある種の「選民的コミュニティ」からは課題自体が透明人間のようです。

すべてが透明になる前に、私は再びこの身体を動かしてそういう世界・人・課題と出会える日々を作ろうと思います。
また「近くの地域」を飛び回ろう。

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