阿吽の鬼瓦

阿吽の鬼瓦

昨夜は気のおけない友人を招いてのホームパーティーでした。

そこでリビングの窓際に置いてある鬼瓦について質問があって、なぜこの鬼瓦がここにあるのかをお話しました。

5−6年前に徳島にたからのやま社を作った頃、鬼師が西阿波の地域から絶えていくことに哀しみを覚えて、鬼瓦をアートとして輸出しようとしたことがありました。展開先はヨーロッパ。結局ビジネスはうまくいかなかったけど、名工の鬼師の最後の作品となったこの鬼瓦が手元に残りました。

フェイスブックで振り返ると、鬼師の大西さんにお話を伺いに行ったのは2014年。徳島県卓越技能者「阿波の名工」である大西さんは鬼師の5代目で、お会いしたときですでに数年前に引退されていました。6代目のお弟子さんまで技能は受け継がれたそうなのですが、鬼瓦の生産が減ったため、瓦職人としては生計がたたなくなり、技能はまだありつつも工房を閉じている状況ということでした。100年前の図面などを見せてくださったり、昔の建造物の思い出を語っていただいたり、あっという間に時間が過ぎていきました。そして、もう作られることのない希少な阿吽の対の鬼瓦を「持って帰りなさい」と託してくださいました。

それを抱えて飛行機に乗ったのはいい思い出です。割れるのが怖くて預けずそのまま機内に持ち込みました。そして、いただいたお礼に写真家本田が撮影した鬼瓦写真を贈りました。

ふと、そんな5年前の思い出を振り返りながらの気づき。

人生は無駄なことを沢山沢山やった後に、無駄なことは何もなかったということに気づいて、それでも自分の人生の長さに合わせて無駄なことをそぎ落としていく作業だなと思います。

この鬼瓦を見ていると、「阿吽」が意味する「吸う息と吐く息」の大切さに気づきます。人生って吸ってばかりも吐いてばかりもいられないものだよなと思います。そして、「ちょうど良い」ってことは自分の身体が決めることで、呼吸の量を他人と比べないように自然と決まっていくものだとも感じます。あなたの人生、無理に吸いすぎたり、吐きすぎたりしていませんか?

さあ、今日も呼吸を整えて、「ちょうど良い」一日を過ごしましょう。

ちなみに、窓際に置いている阿吽の鬼瓦でうちのリビングの気は保たれています。

 

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