人生は短い、でも繋がれてきた命は長い

人生は短い、でも繋がれてきた命は長い

【奥田浩美ブログ】

父の初盆。お寺での法要、会食、お墓への提灯での迎え、家でのお客様のお迎えなど大忙しの日々を過ごしました。私は途中で帰京しましたが、本日、初盆最終日は家族が父の魂をお墓に送り届けて終了しました。

地域や宗派によっては故人の霊は茄子や胡瓜に乗って自力で帰るらしいですが、鹿児島の初盆はちゃんと送っていかないと迷うようです。生前の父のように本当に手がかかります。(笑)

無事、お墓に送り届け、初盆の三日間が終わりました。

父もきっと喜んでいることと思います。

そして今日は終戦記念日。

終戦記念日と父の初盆で思うことは、自分の命が奇跡的に繋がれてきたことへの感動です。

私の両親の両家のお墓は驚くことに同じ墓地にあり、わずか5mしか離れていません。
でも、父は逓信省の役人だった祖父の赴任先のソウルで生まれ、母も役人だった祖父の赴任先の大分で生まれ、終戦となる小学生の時代までそれぞれ朝鮮と大分で育ちました。

父も母も鹿児島の実家の町で生まれたわけではなく、戦争がなければそれぞれ、赴任先で豊かに暮らしていたのではないかと思います。そして、父の一家は終戦後に朝鮮から引き上げてくることになります。

祖父がリーダーとなって、朝鮮から引き揚げて来る様子の一部が、叔母が過去に書いた本に書かれています。

トラックの荷台に潜んで脱出し、途中で警備の銃撃にあい、同乗者が命を失ったこと。父の家族が命を奪われず鹿児島に引き揚げ、祖父の両親のいる鹿児島の小さな町に戻ってきたことが書かれています。

 

 

母はというと、大きな土地の地主の娘だった祖母家族は、農地改革の土地を守るために一家の地元に戻されました。

そんな時代の大きな変化の中で「縁」が出来た両親から繋がれてきた私の命。

父の初盆をとりおこないながら、命の短さを感じる一方、ここまで脈々と繋がれてきた命の数々とその奇跡を感じます。

「命」と「死」と向かい合うことで自分の命の尊さを感じます。

「死」があるからこそ、どう生きるかを考え、せっかくの人生だから何に挑戦しようかを考えます。

人生は短い、でも繋がれてきた命は長い。

そして、私も繋いでいく命の一つだと思うと生き方の襟を正したくなるし、一方で、なにかの「縁」に繋がるべく定められた一つの命に過ぎないと思うと、心も軽くなり、目の前のやれることだけを集中してやっていこうと思います。

 

 

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