日本人はデンマークを真似ても幸せになれない(前編)

日本人はデンマークを真似ても幸せになれない(前編)

【奥田浩美ブログ】

自己決定・自己決定・自己決定

前回のブログではデンマークの高等学校(ギムナジウム)での校長先生・教頭先生との会議の話を書きましたが、視察の本来の目的は介護施設を訪問して日本のロボットがどう使われているかの視察でした。

ですので今回は、コペンハーゲンの介護施設で感じたことを書こうと思います。
写真は視察した介護施設で、デンマークらしくおしゃれなデザインです。
厳密に言うと、デンマークでは、介護施設という概念は否定されており、老人だけが隔離される形を取らず、介護が必要な高齢者が集まる「集合住宅」という位置付けを厳格に守っています。

さて、コペンハーゲンの高齢者施設に日本製のパロを見に行ったものの、活用現場を見ることはできず、本来のロボット視察はあっという間に終わってしまいました。そんな中、今回の視察での一番の成果は施設の高齢者たちとの会話でした。

残存能力の活用に対する努力

ある高齢者のお部屋を見に行ったときの話です。
おばあちゃんが自分の部屋のインテリアや家族の写真などを見せてくれた後に、バスルームを案内してくれてこういいました。

「高齢になるってことは本当に忙しいことなのよ♪ 手のリハビリのためにダーツやったり、身体を鍛えるためにマシンで歩いたり、バランスのために太極拳やって、一週間大忙し」
「左手が使えないし、足も弱いけどトイレもお風呂もこうやって自分でやるのよ。袖を通すとこだけできないからヘルパーさんをその時だけ呼ぶの」

と嬉しそうに語るおばあちゃん。自分に出来ないことの苦労話なんかせず、出来ることを頑張ってチャレンジしていることを誇らしく語り、全く話が止まりません。

私達「バスルームとか写真撮っていいんですか?」
おばあちゃん「ええ、どうぞどうぞ!私の写真も使っていいですよ」

おばあちゃん「私はここを選んで入居して、毎日自分の身体が少しでも動くように努力してるの。幸せよ」
デンマークの高齢者は自分の身体と自分が会話して、自己決定でヘルプしてほしい部分だけ他人に頼ることを考えています。

デンマークの高齢者福祉は設備とか仕組みとかそういう部分より、こういったおばあちゃん一人ひとりのマインドがどう形成されてきたかという点が一番興味深いし、大きな点です。

基本的には自分の残存能力が1番。
足りない部分を「自己決定」で他人に委ねます。
そして常に「自己決定」したものは”幸せだ””幸せだ”と言い切ります。

このおばあちゃんとの会話は、午後の高校見学(前回のブログ)の際に強調されていた「自己決定」というマインドと大きく繋がっている点に感動を覚えました。
赤ちゃんや子供の頃からの積み重ねの上にこそ、このデンマークの福祉が成り立っているのだと。

一方で、日本はどうでしょう。


私の父はいま施設に入っていますが、多くの高齢者が
「家族が見れなくなったから仕方なく施設に」
「本当は自宅で過ごしたいけど仕方なく施設に」
という想いで施設に入っている人が沢山います。
そして、自宅に…と言いつつ、それは家族の手があってこその「自宅」です。

家族を頼りたい、本当はもっと周囲を頼りたい。
なんだか、デンマークのおばあちゃんを見ながら、そういう愚痴をいつも家族に言って、家族全員が何度も何度も介護帰省している私の父が一方では幸せものだよな…と思えてきました。
「私は私が選んだから幸せなんだ!」と言い切れるデンマークのおばあちゃんも幸せですが、何も自己決定しないまま、俺はこんな老後はいやだよーーと愚痴を言いつつ家族に頼る父もこれまた幸せなのかもしれないのです。
自己決定しない分誰かのせいにしたり、察してくれよという文化。それはそれで自分を追い詰めずに人生を過ごせる幸せなのかもしれません。それが成り立っている日本。
これは積み重ねてきた文化の違いです。

小さな頃から多くの決定を、家族や配偶者や社会に委ねがちな日本で、いきなり老後になって突然
「あなたはどこで暮らしたいですか?」
「あなたはどこで死にたいですか?」
と聞かれても、それまでの何十年も自己決定せずに済んだ日本人は幸せに自己決定できません。
北欧では「自己決定」に寄り添う自宅介護・施設介護が広がっていますが、それはその前に70年近く自己決定してきた国民の上に成り立つもので、その表面だけを取り入れても幸せになれないんだなぁ…と。

子どものころから自分がどうやって学び、働き、人生を終えていくかをすべて自分の口で表現し続けていける社会では、自己決定・自己責任を周囲がサポートすればいい。
だけど日本のように自己決定をし辛かった国では、いきなり介護の部分だけ「あなたの望む人生の終わり方を教えて」と言われてもきっと戸惑いだけが広がるだけでしょう。
根柢の自己決定社会を本当に作るのかどうかが試されている、そんな時代だと思います。


介護に自己決定を促すなら、最初の教育の時点から自己決定を。
デンマークの表面だけを真似ても幸せになれない、そんなことを思う視察でした。

ちなみに、私は「自己決定」の社会が好きだし、私のような人間はそちらに向かっていくでしょう。
でも、日本全体がそこまでの覚悟をもって社会を変えていくでしょうか?
日本ならではの解もきっとあると思います。
それが皆さんへの問いです。

デンマーク視察シリーズの他のブログもぜひともお読みください。

私達母娘の選択に影響を与えたデンマークの高校(前編)
私達母娘の選択に影響を与えたデンマークの高校(後編)
日本人はデンマークを真似ても幸せになれない(前編)
日本人はデンマークを真似ても幸せになれない(後編)

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