父からもらった「孤高の精神」と母からもらった「献身の精神」&「好奇心」

父からもらった「孤高の精神」と母からもらった「献身の精神」&「好奇心」

【奥田浩美ブログ】

両親の結婚記念日

今日は両親の結婚記念日です。
朝起きてFacebookが数年前の書き込みで今日が両親の結婚記念日であることを教えてくれました。(そういうところはFBのいいところ。)

さて、ご存知の通り、父は昨年末に逝去しました。
そこからの私の心境はというと、誤解を恐れずに言うと「幸せが深まった」のです。
どういう意味かというと、父の死に面して、
・自分の人生に限りがあることが、頭でなく心でわかった
・父を家族全員で介護したことで、やりきった想いが残った
・介護をやりきった母親の覚悟と優しさがわかった
・この家族がいてよかったという想い、特に兄妹3人の絆がわかった
・目の前の幸せに気づくことが増え、日々どんなときでも幸せを感じるようになった

一言で言うと、「いつも幸せを感じる状態」になったのです。
あんなに、もっと幸せになりたい、幸せな未来を創りたいと言っていたのに、父を亡くしてから、すでに私は幸せであり、私の家族も幸せであり、きっとどんな困難な未来があっても幸せな状態を保てるだろうと思えるようになったのです。

そして、その根底に、父から流れてきた血と母から流れてきた血の2つをくっきりと感じることが出来るようになりました。

父からもらった「孤高の精神」

以前もブログで書いたのですが、小さな頃から私の性格は父に9割以上似ていると言われて育ちました。
・物怖じしない冒険心
・人がやらないことに挑戦したがる
・他人の目を気にしない
・他人と違うということをよしとする
・自分に妙な自信がある

一方、母は他人の目をとても気にしますし、穏やかで、私とまったく違う性格だと思っていました。
正直言うと、若い頃は母の本質を過小評価していたように思います。母自身が自分をすごい人に見せようとしない人ですし、父が九州の気質だったこともあり、母を常に従えている様子を見て、子供心に父より下に見ていたのだと思います。
私自身が九州の古いジェンダーの価値観に毒されていたとも言えるでしょう。

やがて、時代は変わり、私自身が”九州のジェンダーの呪い”から開放され本当に自由になったとき、母のすごさが見えてきました。
特にこの十数年、ITが世界にいきわたってきた状況で昭和13年生まれの母を見たときに、類まれなる能力を持っていることに気づいたのです。
母は5年前に教えたiPadで株の売買や沢山のアプリでのゲームをやっています。
今となってはそういうおばあちゃんも増えてきていますが、ワープロが出始めた1990年代にはワープロを、そしてPC、基本的に新しいものが出てきても物怖じしません。そのうえ、Wifiを繋いだりするために自分でルータなど買ってきて電話で聞きながら根気強く繋いだりしていました。
ITに強いかと言うと、そうではなくて、単に好奇心が強く、新しいものに対する「抵抗感」がないのです。きっと母の目の前にドローンがあったらドローンを飛ばしてみるのでしょう。
そもそも多くの人間は新しい「もの」を受け入れることが年齢とともに困難になってきます。それが母には抵抗がないのです。
「もの」だけではなく、新しい「価値観」や「考え方」についてもそうです。
とにかく新しいことにまったく動じないのです。
※写真は2014年当時に母がiPadを設定している様子です。

母からもらった「献身の精神」&「好奇心」

ふたたび思い出しました。
ちょうど今日、鹿児島県の教職員の人事異動がWebに出ていましたが、人事異動の表を見るとなんだか酸っぱい思い出が蘇ります。
父は鹿児島県の教員でした。以前、「今の違和感こそが未来の種:当たり前を疑う」というブログでその頃のことを書きましたが、父の教職人生は転勤と隣り合わせでした。
父は県内どんな地域にでも飛んでいく人でしたが、実際の辞令が出るたびに、赴任先の学校や役職によって思い悩んだり塞いだりしているのもよく見ました。そんな中、母はさっさと一人で引っ越し荷物を詰め始めて、兄妹三人の転校の手続きをし、引っ越し当日も知らない土地に母が運転する車で向かっていました。(父は視力に障害があり、運転免許を取れなかったのです)
私が覚えているだけでも、屋久島、曽於市、阿久根市、三島村、川内市、高山(肝付)町、インド・・・を始めとするあらゆる土地を点々とし、母はそのたびにその地に根を下ろし地域活動をしていました。

父は「知らない場所にチャレンジするぞ−−!」「行くぞー!」という掛け声はいつも大きかったのですが、いつも土地に馴染むように新しい地で方言も慣習も違う生活を切り開いたのは母でした。

私が15歳、妹が13歳の時に子どもたちだけで鹿児島市内で暮らすことを父が決断した後も、実際に手続きしたり、住居を整えたり、寄り添ってくれたのは母でしたし、何よりまったく子どもたちに不安感を見せなかったのは母でした。

私は若い頃は父の冒険心と孤高の精神を引き継いで自分の性格が培われたと思っていましたが、母の献身の心・おおらかさと、新しいものへの好奇心、そして度胸こそが私の性格の根底に流れているのではないかと思い始めました。

今日は両親の結婚記念日


父が亡くなって最初の結婚記念日ですが、母におめでとうのメッセージを送りました。
メッセージを父はきっと見ていると思います。
写真は、父の葬儀の際に流したスライドショーで、屋久島で撮った家族5人の写真。
先ほど、父を亡くしてから幸せが深まったと書きましたが、父の死を機に、私に流れている両親の想いをものすごく意識するようになったのです。
私は父と母の想いを継いでいて、娘は私と夫の想いを継いでいる。
それならば、この与えられた自分の資質はどこに使おうか。
そう考えるととてもワクワクしますし、この資質を持っているだけでも幸せだなーと思うのです。

私はすでに幸せで、その幸せの元は外にではなく自分の中にある。
そんなことを考えながら過ごす休日。
今日は両親の結婚記念日です。

Related Posts