「学んだこと」を無駄にしない生き方

「学んだこと」を無駄にしない生き方

【奥田浩美ブログ】

私の専門は「特別支援教育」でした

昨夜、「心の中の“銅鑼(ドラ)”を鳴らす用意はありますか」という過去の私のブログをシェアしました。そこにサラリと書かれていたことで、一つ気づいたことがあります。

私は学生時代、特別支援教育の専門家になろうとしていて、養護学校教諭1級免許状(現:特別支援学校教諭一種免許状)を取得しました。就職の直前でその道を捨ててインドでの社会福祉学に進み、修士修了後にさらにその道すら捨てて今の道に進んできました。それが今に続くITそしてスタートアップの世界です。

 

特別支援教育の道は捨てたけれど

中途半端で捨てた道だから、成し遂げていないことだから…と、私はこれまで「特別支援」に関して語ることを避けてきたように思います。
ですが、昨夜気づいたのは、そういう背景があったからこそ、私の根底に「インクルージョン(包括・包含)の精神」があり、「特別支援」とわざわざ呼ばなくても、実は多くの生きにくさを抱えた子供達や大人たちと関わってきたんだなということです。日本での大学の2年間、インドでの大学の2年間、私は確かにものすごい勢いで学問を修め、必死に専門の勉強をしました。
でも、その職業につかなかったことで、その専門性を抑えてきたように思います。

実は、私の周囲にはいわゆる発達障害を始めとして、障害という言葉の枠で呼ばれてきた人が本当にたくさんいます。身体的、知的、精神的な部分を含めてもおそらく比率は高いのではないかと思います。思います…というのは、私があまりそこに垣根を見出そうとしないからかもしれません。アントレプレナーやアーチストだけでなく、学生さんなどを見ても、結果的にそういう特性を生かして自分の才能を切り開いてきた人が私の周囲には本当に多いのです。

 

今だからわかる学んだことの意味

私は自分自身のマイノリティ意識と、自分が目指した道の専門性を根底に生かしてきたんじゃないかと思います。

専門職としての専門性は活かせなかったけれど、若い頃に自分が目指した道は、実は捨てたようでいて心の根底に残ります。そしてあの頃ものすごく必死に勉強したから、心理学などを含めて今の自分の根源になっているのだと強く思います。
いま振り返ると、大学時代、大学院時代はものすごく勉強しました。特に専門過程での教育学や心理学、社会学は必死で勉強しましたし、とても勉強が楽しかったのです。一つの領域を深く掘り下げる力は人間として本当に大切です。
そして、その対象が異なる分野、たとえ別のビジネスになったとしても、掘り下げる力はすべて生きてきます。目の前のことに夢中になれる力なしに人生は切り開けませんから。

打ち込んだことの背景に注目

眼の前にあるものに打ち込むこと。そして、その眼の前のことになぜ自分が打ち込めるのかがわかるだけで、その後の人生に活きてきます。
私はなぜあの学問に打ち込めたのでしょう。
実はそのときに打ち込んだ事自体が直接役に立っていないと思っていても、それを選んだ背景と自分の想いは意外と変わっていなかったりすることに気付きます。私の場合は一体なんでしょう??

やはりこの2つだと思います。

 

やっぱり私は人が好きだ!
そして、人をなにかの要素で分けていく社会が嫌いだ!

こういうことを書きながら、私は学生時代に学んだことが全く無駄になっていないことに気付きました。
スタートアップという超強者の世界に私がいるべき意味、それが学生時代の学びにありました。

 

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